2013/10/30

雄勝法印神楽


10月20日日曜日、現地調査のため、再び宮城県石巻市雄勝町を訪れた。

この日私たちは、現地のタクシードライバーの方に教えていただいた、新山(にいやま)神社で行われているというお祭りに足を延ばすことにした。新山神社には、雨にも関わらずたくさんの人の姿があり、祭りの中央では法印神楽(ほういんかぐら)が演じられていた。



上雄勝にある新山神社 (地図:TRST学生メンバー作成)



雄勝法印神楽を見つめる町の人々



雄勝法印神楽は、雄勝町内の各地区の神社における祭りで奉納され、古くから雄勝の人々に親しまれてきた。法印神楽には、太鼓二人に笛一人の羽黒派と、太鼓一人に笛二人の本山派の二系統があるが、雄勝町に伝承されているのは羽黒派であるといわれている。


雄勝法印神楽の演目は、『古事記』、『日本書紀』の神話を取り上げている。この日私たちはその一部しか見ることができなかったが、現在では

初矢・三天・両天・醜女・魔王・五矢・宇賀玉・岩戸開・四天・空所・白露・笹結・荒神・鬼門・叢雲・道祖・所望分・蛭児・普照・釣弓・産屋・日本武(やまとたけ)・橋引・二の矢・湯の父・国譲

の、二十六番の演目がある。地区によっては、仮設の舞台を飛び出して浜辺で闘う場面もあるなど、地域性を生かした場面展開のある舞をたのしむことができるようだ。


修験道や神道の影響を多分に受けた法印神楽は、その舞における印契、足の踏み方など、すべてが修験道の所作によっている。この神楽舞が崩れることを避けるために、外に伝えることを禁止したり、口伝や万葉仮名、当て字などを用いて伝授されてきた。そのため、かつては法印(修験者)だけが秘法として演じたが、現在では広く同好の若者の間にも伝承され、保存が図られている。

軽やかに短刀を振りかざす勇壮さと美しさを感じるその舞に、私も思わず見入ってしまった。



雄勝法印神楽の軽やかな舞
(画面をクリックすると動画が観られます。)
民俗芸能は、本来行われる時期や場所が定まっており、自然との関わりのなかで行われてきた、その地域を表現する芸能文化である。そしてその地域の人々の賑わいの中心でもあった。

雄勝法印神楽を中心として、地域のコミュニティを担ってきた神社や祭り。人々の元気や懐かしい思い出、町の賑わいを取り戻すためにも、このような貴重な文化や伝統の良さを、外の人間である私たちが発見し、学び、伝えていくことで、復興の力となれたらいい。

(記:笠原胡桃)

雄勝神楽・新山神社にて/TRST撮影
http://youtu.be/7KbnRSarFcE


【参考資料1:雄勝町史】
【参考資料2:日本の民俗芸能調査報告書集成2 北海道・東北地方の民俗芸能2 宮城・秋田】

2013/10/21

雄勝町の花 ハマユリ

 宮城県石巻市雄勝町の「町の花」である、ハマユリ(浜百合)をご存知だろうか。一般にはスカシユリ(透百合)といわれ、初夏になると海岸や崖に咲く姿が見られるそうだ。花弁と花弁の間に隙間があることから「透百合」という名前が付けられたという事だが、浜辺で咲くことから「浜百合」とも呼ばれるようになったのだろう。

ユリといえば白い花というイメージを持っている人が多いかもしれないが、スカシユリは主に橙色をしているそうだ。

宮城県内では、スカシユリの中でもヤマスカシユリといわれる、山地に生息する種類のものも多く咲くということである。


スカシユリ(版権フリーのサイトより引用 撮影:いわき市)

海岸に面した岩肌(撮影:田賀陽介)


 上の写真は、丁度2ヶ月前に雄勝へ行った時に立浜で撮影されたものである。私には険しい表情だと感じられた岩肌だったが、津波とぶつかり合った後の厳かさがあるようにも思う。この時にはまだハマユリという存在を知らなかったが、こういった場所などに咲くのではないだろうか。
雄勝へ現地調査に行った際には、開花時期が終わっていたためにハマユリを見ることはできなかった。来年の初夏にはまた雄勝を訪れて、ぜひ探してみようと思う。また雄勝のみならず、岩場や山肌を見てみると鮮やかな橙色のハマユリを見つけることが出来るかもしれない。

震災によって、以前より色を失ったかのように感じる場所もあるだろう。だがどのような場所であれ、その地域に住む人たちが、あたたかい自然の色味があると気付けるようなほんの少しの気持ちの余裕を持って過ごせたら良いと思う。 

(原田章江 記)





2013/10/02

塩害杉

宮城県石巻市雄勝町でよりよい復旧復興のための現地調査を行った。雄勝町にある森林公園へ向かう途中に、枯れている杉の群落が道沿いに多く見られた。津波による塩害を受け、ケヤキなどの広葉樹ではなく、杉や松などの針葉樹が枯れ木として点在している。被害の状況から震災当時にどれほど大きな津波が起きたかを推測することできる。

下記の写真は雄勝湾からおよそ1キロ離れた山間地であるが、このような場所にも津波が覆いかぶさったことが写真から見てとれる。このように海が近いにも関わらず海の様子が見えない場所では、住んでいる人々が津波から逃げるための判断を遅らせてしまったのではないだろうか。

塩害によって枯れた杉は津波の爪痕として雄勝の景観に残っている。塩害杉を自然が人々へ向けて出したサインとして捉え、震災があったという記憶や、これからの復旧復興計画の判断材料として使用していくべきだろう。

雄勝湾に注ぐ小河川に沿って見える塩害杉(2013.8.19 田賀陽介撮影)

TRSTメンバーによる現地調査の様子(2013.8.19. 渡部桂撮影)


また、今回の現地調査を経て塩害杉について調べみた結果、塩害杉は震災を受けた様々なところで多様なかたちに利用されていることがわかった。

例として南三陸町では志津川地区にある、あさひ幼稚園の新設があげられる。津波によって流されてしまった園舎を高台に新設する際に、有形文化財である大雄寺の杉並木が使われた。様々な支援によってできた新園舎は木のぬくもりが感じられ、子供たちが走り回る様子がうかがえるものとなっている。他にも、塩害杉は、井戸端会議に使うベンチや企業で配るノベルティグッズなど多くのものに使用されている。

ただ廃棄処分されるのではなく、震災の記憶を繋ぐものであったり、新たな製品の材料、さらには新たな雇用を生み出すものとして有効活用できれば地域活性にも繋がるだろう。(山口稜平記)


引用文献
南三陸町復興情報発信ブログ「南三陸なう」 minamisanriku-now.blogspot.com/2013/07/blog-post_4.html
助けあいジャパン 情報レンジャー      inforanger.tasukeaijapan.jp